市川美織さんはレモンをやめたのか?元AKB・NMB48メンバーの市川美織さん。キャッチフレーズは「フレッシュレモンになりたいの~」。脱レモン宣言をし、フレッシュレモンをやめた市川美織さんの現在に迫ります。「レモンやめたけど、みんなのアイドルはやめないで~」
「フレッシュレモンになりたいの〜」のキャッチフレーズでお馴染みの市川美織さん。
現在はフレッシュレモンやめたそうです 笑
そもそもフレッシュレモンになるってなに!?レモンやめたってなに!?
だと思うので、気になる市川美織さんの今後について考えてみたいと思います。
お好きなところからお読みください
市川美織とは
市川美織さん(1994年生まれ)は埼玉県の出身です。
元AKB・NMBの人気メンバーで、レモンの被り物をしていたことで有名です。
148㎝と小柄で可愛らしく、
市川美織さんの愛称は「みおりん」。他には「レモンちゃん」や「フレッシュレモン」などと呼ばれています。
市川美織さんは「将来なにになりたいか」という質問に対し、「フレッシュレモンになりたい」と答えています。
レモングッズ集めや「レモンの入れモン」バッグがお気に入り。
私生活でもレモン一色の市川美織さん。
いつ頃「レモンやめた!」のでしょうか。
レモン活動
市川美織さんのレモンとしての活動?はキャラクター作りの中で生まれたそうです。
もともとの意味でフレッシュレモンとは「スーパーの売り場に山積みのレモン。そのてっぺんに置かれたみずみずしいレモン」の事だそうです。
フレッシュレモンというのはキラキラ輝くトップアイドルという意味で、市川美織さんにとってのフレッシュレモンは前田敦子さんだったようです。
フレッシュレモンやめたってことはトップアイドルを目指すことをやめたってことでしょうか?
レモンな市川美織が定着すると、「レモンの次は何?」というプレッシャーもあったのだとか。
でもその意味を知ると、その期待仕方も違うような…。でもあんなに可愛い子が「フレッシュレモンになりたい」とか言ってたら、応援したくなりますね。いじりやすいし 笑
そんなプレッシャーを感じながらも「レモンやめたい」ってならない市川美織さんのハートの強さ。
「レモンやめたいかも」って状況でやめたりせず、貫いた結果が、今の市川美織さんの輝きの理由なのかもしれません。
レモンを通してファンに認知され、広島レモン大使にも就任されています。
広島出身じゃないのに、、、すごい。
アイドル×レモンやめた現在でも、広島レモン大使は継続しています。レモンを通して知る広島の魅力を前に、「レモンやめた。大使もやめた。」なんてことは思いもよらないようです。
レモンやめた記念は2016年の『AKB48 45thシングル選抜総選挙』の中で、脱レモン宣言でのこと。
なので2016年5月20日が、市川美織さんの「レモンやめた」記念日ということになりそうです。
ちなみに純粋なレモン情報として、国産のレモンは防カビ剤不使用なので、安心して皮ごと食べられるのだとか。だから私も「外国産レモンやめた」宣言そのうち!
そして広島県は全国一のレモン生産県なんです。
AKBやめた。NMBやめた。全部やめた?…やめてない。
2010年の「AKB 第10期研究生オーディションに合格し、活動を始めた市川美織さん。
翌年にはヤングジャンプとのコラボ企画で研究生として唯一参加し、同年にはテレビのレギュラーに。
研究生の時代から、異彩を放っていた彼女。AKBとNMBを兼任して活躍するまでになりました。
2018年にNMBでの活動を終了した市川美織さん。「AKBやめた。レモンやめた。全部やめた。」とはならなかったみたいです。活躍の場をTwitterやInstagramに変え、活躍を続けています。
市川美織さんが人に笑顔を届ける活動をやめたら、日本中の人が悲しんじゃいます。
Twitterではアイドルとして、Instagramではモデルとしての自分を表現する市川美織さん。
「レモンやめた」は市川美織さんをアイドルとは違う、特別な存在に押し上げた感じがします。
もちろん、彼女の努力の賜物です!
まとめ
様々な媒体でマルチに活躍する市川美織さん。
単純にレモンキャラを推し続けていたら、「レモンやめたらただの人」になりそうなものですが、市川美織さんはそうじゃありませんでした。
とことん「フレッシュレモン」になろうとした市川美織さん。レモンやめた後のほうが、より一層、みずみずしくて爽やかな魅力があふれています。
以上、「市川美織はレモンやめた?気になる活動は?」でした。最後までお読みいただきありがとうございます。